仁徳天皇(在位312-399年)御宇のとき曰く、日本武尊および神功皇后(200年頃説)が西征のとき豊後州速見郡竈門荘亀山に行宮(天皇行幸の仮宮)を造る。このとき国常立尊、天照大御神を始め三十三神を奉斎する。
次に聖武天皇(在位724-749年)の御宇、神亀四年(727年)三月十五日豊前国宇佐より仲哀天皇、応神天皇の神霊が竈門荘宝城峯に降臨する。山麓において大神諸男と大神豊永(竈門宮宮司)が相議し、御越山に遷座奉る。既にして亀山の桜樹の枝上に現れる。再び竈門宮に奉斎する(例大祭桜会祭の紀元)。併せて三十五神となる。既に竈門宮と称す。
次いで淳和天皇(在位823-833年)の御宇、天長三年(826年)宇佐より神功皇后の神霊を迎え、併せて三十六神となる。このときより八幡竈門宮と称する。
資料 (大宮司矢黒家 八幡竈門宮伝記より)